本音で付き合える人間関係構築セラピストの秋山幸徳(あきやま ゆきのり)です。
いままではなぜ「人間はなぜ理解し合うことができないのか」を書いてきました。
それでは、「なぜ理解し合えないのに社会生活が出来るのか?」という疑問をを持っている方もいるはずです。
その答えはとても簡単で
「教育を受けたから」
です。
教育により私達は〇〇のような時には××する。などということを叩きこまれそれを無条件に正しいものと受け取り、その通りに行動します。
これが繰り返し行われることでパターン化し無意識に〇〇のような時は××するようになるのです。
問題なのは「私たちが教え込まれたことが必ずしも真実ではない」ということです。
教育は家庭・学校・職場・もしかしたらご近所など様々な社会システムで行われています。
私達がこれらの社会システムを通して教えられることのほとんどはその社会システムにとって都合がいいことであって真実ではありません。
例えば家庭です。
わたしにはこんな経験がありました。
わたしが3歳ぐらいの時、そこそこの中堅企業の営業課長をしていた私の父が、大事な取引先の担当者を我が家に連れてきました。
当時の私はわんぱく盛りで、知らない人が来たのがうれしくて一人ではしゃいでいました。
多分父はこれを「うっとおしい」とか「恥ずかしい」とか思ったのでしょう?
いきなりゲンコツでガツン!
「静かにしてろ!」と大声でどなられました。
ビックリしました。何故なぐられたのかわかりません!私には悪意はありませんでした。ただうれしかっただけです。
それ以来私は、うれしくてもうれしいと言えなくなり、初対面の人が苦手になったのです。
今となってはわかりませんが多分この時の父親は「他人の前では行儀良くする」ということを「教育」するというよりも「自分の面子を守る」ために殴ったというのが本心だったのではと思っています。
このように未熟な親が自分の思い通りに子供をコントロールするために行う強制的指導を「教育」という名のもとに行っている場合がほとんどです。
学校教育も似たようなものです。
国家という社会システムにとって都合の良い人間(例えば、従順で忍耐強く与えられた仕事をこなすための学力と責任感がある人)をつくるのが学校教育の目的です。
この目的からそれた個性の強い子供は問題児として扱われてしまいます。
この様な教育から真実は学ぶことはできません。
ここでいう真実とは今まで話してきた「事実」のことではありません。
「時代や状況が変わっても通用するデーター」のことです。
真実ではないものを正しいこと信じ常識化している。
これが社会が混乱している原因であり人間関係を難しくしている原因である私は考えます。